今日は、会社の環境を改善しようという活動のメンバーで集まって懇談会をしました。活動を一区切りつける意味合いでは非常に意味のあるものだったかなと思います。個々人にとって。結局1年弱活動していたことになるのかな?
しかしそこで話された内容は、予想していた通りのものでした。当たり障りのない、平凡なお話。ここまで予想通りのことしか話として出てこないと、みんな言いたいことを隠しているんじゃないかと疑ってしまうほど。かくいう私はどうなのかと聞かれたら、それはもちろん思っていることの2割、3割くらいしか話をしませんでした。あるいはできませんでした、かもしれませんが。
月日を重ねるごとに感じるのは、思想の乖離。
皆がみんなそれぞれに違うことを想い、違うものを求めているように感じます。それは分母が増えたからなのか、各人が自由な思想を持っているからなのか、はたまた自分の考えが他の人と違ってしまっているからなのか。どれもそうかもしれないし、どれも違うかもしれません。ただ、私から見ると「とりあえず無難」なことを言ってその場をやり過ごしているようにしか思えません。当初、皆で議論して達成しようとしたことはどこに行ってしまったのか?この場を終えてどこにどうやって進んで行くのか?疑問ばかりが頭をかすめます。もっとほかにやるべきことを見つけた?それともやってみたらそれほど自分のやりたいことではなかった?これからやるつもり?
今日は、嫁にも話をしてあって、いつもであれば遅くても19時には会社を出て家に帰って、娘をお風呂に入れて・・・と過ごす時間をあきらめて、お酒の席にも参加しました。本当は自分の感じる疑問、想いをぶつけて話をしたかった。でも、そういう話でもなく、みんなそれぞれにもっと違う話をしています。それは自分がそういう話をしようとしなかったからというのも、もちろんあります。でも、それ以上に感じたのは、他の人は、他の事を考えているんだという実感。
かといって、くだらない話ばかりでもなく、それぞれがそれぞれの思う会社の問題や行く末に関しても熱い話をしていたようにも思います。(いや、もちろんたわいのない話も多かったですが。お酒の席ですしね。)そういうのを聞いていると、本当に人それぞれ、思っていることは違うんだなという実感を深めます。悪い方向ばかりではなく、よい方向にも。
でも、だからといって、自分の思っているもやもやしたものが晴れるわけではなく。この思いをどこでどうやって昇華すればいいのかわからないまま帰りの電車を逃してバスで帰っております。(久しぶりです。)
思うのですが、株式会社という枠組みにおいて、どこに自分の立ち位置を置くかというのは非常に難しい問題ですよね。私を含めてみんなそれぞれに少しづつ勘違いをしている気がする。そしてさらに、世の中の仕組み、人の想いというのは複雑すぎる。自分が自分の思う理想の枠組みを実現するなんていうことは、それこそ宗教あたりにでも求めなければ見つけられないのではないかと思ってしまいます。さて、どこに向かうべきか、と。
もっと具体的なことを書いておいたほうがいい気もするけど、やめておきます。数年後にこの自分で書いた文書を読んだときにどう思うでしょうかね。それが楽しみです。
酔っ払い胡田でした。