2006-08-24

頭の中でもやもやとしているものをもやもやしたまま吐き出しておきます。たぶんうまくまとめられないし、まとめる気も無いので、スルーしていただくと良いと思います。

仕事のこと

最近一番頭のなかでもやもやしているのは会社で働くことの目的、意義についてです。社会人生活5年目、一応役職もつき、家庭も持ち、そういうことを考えざるを得ない次期なのかもしれません。

まず感じているのは、「会社の様子が変わってきた」ということ。人間はいつの時も懐古主義に陥るものなのでしょうか?昔は余計なことを考えずに、自分に与えられた仕事をヒーヒー言いながら必死でこなしていました。でもそこには「お客さんのために」という思いがあったし、お金、工数のことなんてだれにもうるさく言われませんでした。勤続年数が若く、単純に言われなかっただけなのか、全体として調子が良かったから誰もそういうことをいわなかったのかはいまとなってはよく分かりませんけれども。

昔は「目的は?」と聞いたら「お客さんに満足してもらうこと」「お客さんにより良いサービスを提供すること」という答えが返ってきていたし、皆そういう意識だった気がします。気のせい、思い込みかもしれませんが、でも今は明確に「利益率の向上」「売り上げの増加」という答えを持っている人もいます。小さい会社が景気よく、調子がよくどんどん大きくなっていく次期と、そこに無理が生じてきて、停滞している次期とでは、もちろん意識のずれも出ようかとは思いますが・・・。

それにしても、学生のころはお金ももらわず、ボランティアで一生懸命働いていました。そして、思い返してみれば、今よりも大学時代の方がずっとずーっと心理的負担は大きかったです。今は、仕事に対する責任感、目的間が薄れ、「どうせ最終的には気に入らなければ他の会社に転職すればいい」という思いが心のなかに大きく居座っています。

自分が不満を感じる、疑問を感じることに対して立ち向かってそれを何とかしようとする気力はなかなか出てきません。目に見える細かい問題、仕事の負担でつぶれそうになっている人を自分の力で助けてあげようとすることはできます。そういう気力はわいてきます。でも、普段自分の周りにいない人、視界の中に入ってこない問題に関しては意識的に気が付かない振りをしてしまっている気がします。きっと私が見ていないところで困っている人、つぶれかけている人はいるでしょう。それはちょっと視界を広くすればすぐに気づけると思います。でも、そこに対して自分が何かをしようと思うほどには、もう、会社を愛せていない気がします。

一方家庭を持ちました。仕事人間になって、家庭にいない父親・・・になるつもりは毛頭ありません。思えば私の人生の夢は小学生のころから一環して「幸せな家庭を築くこと」だったのです。家庭を持った今、幸せな家庭を築くために、家族との時間を極力多くとりたいのです。そのためには仕事はきちんと時間内に集中して終わらせて、毎日早く家に帰らなくてはなりません。そうすることは自分がその気になればいくらでもできますし、現にいまはかなりの部分でそのようにしています。

でも、やっぱり後ろめたさがあります。何に対してか。会社?あるいは同僚?お客さん?・・・。一番後ろめたいのは自分に対してかもしれません。会社にあまりコミットできず、仕事は要領よくだけこなし、仕事がつらくてヒーヒーいっているひとがいるのを知っていながら見て見無振りをして、会社全体があまりうまく行っていないなか、離職率が高まるなかで、それに対してなんのアクションもとらず、かといって安定を求めるために、転職をするわけでもなく、でも、利益率や売り上げにこだわる人を見て「そんなことはおかしい」と思いながら。自分のスキルアップもしなくてもやっていけてしまうから、勉強もせず・・・。それが本当に自分の求めていることなのか?いや、断じて違う・・・はず・・・だ、けれども。

不満をいえばきりが無いから、前を見ようと思う。けれども、前を見ようと思ってもあまりにも拉致があかないから自分の身の回り、直近だけをみて、将来を考えず・・・。様々な状況をすべて自分の逃げ道、言い訳として使ってしまっているのも事実だと認識しながら。このあたりが自分の現在かな。

それでも何とかしようとちょっと動くと、すぐに壁にぶち当たります。なかなか人生は思い通りにならないようであり、簡単に何でもあきらめられるようでもあり。。

娘のこと

でも、そんな悶々としているなかでも、確実に、すくすくと、娘は大きくなっていきます。生まれて7ヶ月と半分くらい。つい1年前までは本当にちっぽけだった存在、2年前にはこの世になかった存在が、自分の中でも、現実の世界の中でもどんどん大きくなっていきます。いろいろなことがあるけれども、娘を見ていると幸せな気分になるし、気持ちが引き締まります。幸せにしてあげたいと思います。娘のためにも私は前を見ていかなくてはいけないと思う。

自分が停滞しているなかでも、すくすくと育つ娘を見ていると、自分が本当に「停滞」していることを、世の中が、時がたっていくことを実感します。自分が年老いたときのこと、死んだ後のことを考えます。

いったい生まれてから死ぬまでの間に何を為せば為したこととなり、何を為さなければ為さなかったことになるのか。世界では今この瞬間にも死んでいく救える命もある中で。・・・なんて事を考えると今すぐどこかにいってしまいたくなります。

この資本主義社会のなかで営利団体で働いてなんていないで、NPOでもNGOでも参加して活動するほうがよっぽど心が平和かもしれない。と、それなないな。心はきっと平和じゃないだろうし、悩みも非常に多いだろうけれども、少なくとも「自分が何事かを為そうとした」という思いは持てる気がする。

んー。ん〜??困ったもんだ。ここで話を終わらせるとなんだか変な結論っぽくなってるけど眠いので寝ます。お休みなさい。
つづきはまた今度お酒を飲んだときだな。(←よっぱらい)

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