娘が3歳になり、しつけや嫁との意見の違いにもちょっと悩む今日この頃。「子どもへのまなざし」を再々読しました。読むたびにはっとさせられます。今回は心に強く残った部分を引用しておきます。
“”この乳幼児期の育児は、ひとことでいえば、子供の要求や期待に、出来るだけ十分にこたえてあげることです。
“”(中略)
“”そして、子供の要求に答えてあげて、こちらから伝えたいことは、「こうするんでしょ、そうしちゃいけないんでしょ」と、おだやかに何回もくり返し伝えればいいのです。いらだったり、しかったりする必要はないのです。「いつできるかな、いつからできるかな」と、それだけのことで、だいたいいいのです。
“”親や保育者の希望ばかりを、子供に強く伝えすぎてしまう、賞罰を与えるというか、そういうやり方で、早くいい結果をだそうとする。あるいは大人の方が楽をしようとする。そういう育児がよくないのです。
“”つぎの時代を生きる子どもたちに、十分に愛されることの喜びを与えること、育児はそれで十分なのですね。人間は愛されることから、生きる喜びを感じはじめるのですから。
“”ようするに、いまは、人とのまじわりの絶対量がたりないのだと思います。これを苦痛ではなく、わずらわしくなく、楽しめるくらいになる。それぐらいの人とのまじわりの努力は、日々しようではありませんか。自分の子どもを人様に預けよう、人様の子どもを預かろうではありませんか。
“”子どもというのは、育つというよりは育ち合う存在ですから、この「育ち合う」ということを、子どもを育てている人たちは、よく考えるべきです。自分の子どもが育っているということは、自分の子どもといっしょに、育ち合ってくれる子どもがたくさんいるということなのです。
“”子どもは、本当にいろんな人との関係のなかで育ち、仲間との交流をとおして、たがいに育ち合うのです。ですから、子どもを育てるということは、まず親自身が、どういう人たちと、どのようにコミュニケーションをしながら、地域社会で日々生きているのかということを、子どもにお手本を示すことが必要でしょう。
“”教育とか育てるということは、私は待つことだと思うのです。「ゆっくり待っていてあげるから、心配しなくていいよ」というメッセージを、相手にどう伝えてあげるかです。
“”しつけをするときだって、けっしていそぎませんでした。おむつがとれないなんて子は、世の中にいないんだというくらいの気持ちは、だれでももっていました。お箸でうまくご飯を食べられなくたって、だれだってそんあことはできるようになるのだから、競争しない、あせらない、いそがない、こういう育児であったのです。
“”人間というものは、どこかで全面的に受容される時期があればあるほど、安心して自立していけるのです。自分が全面的に受容されるということは、ありのままの自分を承認されるということです。ありのままを承認されるということは、子どもにとっては、このままで私はいいのだという安心感、すなわち、自信になるのです。人生のできるだけ早い時期に、この安心感が与えられることがだいじなのです。
“”子どもは自分を確立していくために、たえず依存と反抗をくり返します。子育てのやっかいさは、親に依存してきながら、それでいて反抗してくることです。
“”子どもは親を信じているから反抗しているのだと、認識していればいいのです。
“”反抗期というのは、幼い子どもにとっては、相手に安心できるから反抗できるということなのです。幼い子どもは、相手に対して安心感がなければ、反抗などできないものです。ですから相手を信じて、安心して自分のいいたいことをいったり、やってみたいことをやっているわけです。そういう機会を奪われた状態では、自分というものが育たないということも事実なのです。
“”赤ちゃんが望んでいることならば、なにをどれだけしてやっても、やりすぎということはありません。ですから、乳児期の育児には過保護ということは無いと思います。
“”自分の望んだことを望んだとおりに、十分してもらえている子どもが、相手のいうことを心から聞きはじめるのです。ですから、最初から親の希望をよく聞いて、あれこれしてくれたら、いい子だちおう発想の育児はまちがいなのです。
“”親にいろいろとやってもらうから、本当にいい子になるのです。「何ちゃんはおりこうだから、こうしたら、ああしてあげる」というのはいけないのです。
“”しつけというのは、子どもの自尊心を傷つけるようなやり方でしようとしては、ぜったいにいけないのです。それはしつけなんかではないのです。反逆心、敵意、憎しみ、そういう感情を内在化させるだけです。大人と子どもなのですから、対等じゃないのですから。
“”子どもの自律というのは、しつけをつうじて育てるのですが、こうしてはいけません、こうしなければいけませんということを、優しく、できるまでくり返しくり返し伝えるのです。失敗すれば、また教え伝えるのです。伝えるところまでがしつけでありまして、いつからできるようになるかは、子どもまかせにしてあげるところに、しつけのいちばん重要な鍵があるわけです。
“”ですからいちばんいけないのは、おしっこを教えるのに、「でるまですわってなさい」と、こういう態度です。(中略)子どもに決めさせてやらないのですから、自律性が育つはずがありません。
“”私はつねづね思っていますが、子どもというのは、親のいうことはなかなか聞きません。けれども、親のしていることは学ぶし、よくまねをすると思いますね。
“”幸せということは、物事に感謝できる、そういう喜びをもつということですが、まず自分自身が幸せでなければ、子どもを幸せにすることなんかできないのですね。幸福な人に育てられないで、子どもが幸福になるなんていうことは、ありえないと思います。ですから、子どもを育てることが喜びであり、幸せであるという人に育てられる子どもは、本当に幸せだと思います。
“”「ああでなくてはいやだ、こうでなくてはいやだ、こうあってほしい、あああってほしい」という気持ちがない親というのはいませんが、子どもが安心できる親は、それが小さいということです。ありのままの子どもで十分満足だという気持ちに、親がどれだけなれるかということがたいせつなのです。
“”その子が望むことをどれくらいしてあげられるかが、たいせつなことなのですね。お風呂でゆっくり遊びたいといったら、その子といっしょに、ゆっくりと入ってあげられるかどうか。おふねをもって、バケツをもって、ジョウロをもってゆったりと遊ぶことができるかどうか。あるいは、夜、お母さんといっしょに、添い寝をしてもらって休みたいといったら、そうしてあげられるかどうか。食後にテレビをみるときに、お母さんやお父さんのひざにのっかって、テレビをみたいといったら、親がそのことを、ゆっくりさせてあげられるかどうかということが、ひとつひとつだいじなことなのです。
“”子どもというのは、自分で望んだことを望んだとおりに、どのくらいしてもらうかということが自立への基盤です。(中略)「きょう、お父さんは疲れているから」とか、「夜おそいからだめだ」とか、「だめだ」ということを、できるだけいわないでいてあげることが大事だと思います。
ちょっと引用量が多すぎて問題があるかもしれませんが、ぜひ書いておきたいのでたくさん書いてしまいました。自分を振り返ってみて反省することが沢山あります。また心を入れ替えて育児を楽しもう。