2009-04-21

娘がここのところたまに号泣します。本当にもうわーわー泣いて、会話もできなくて、泣き止むまで10分も20分もずっとわーわーと。きっかけは些細なことなのですが、泣き出すととまらなくなることがあります。

そこに対しての私のアプローチは「どうしたのか?」「何がしたかったのか?」「どうしたいのか?」と、しっかり自分の言葉で表現してごらん、というアプローチです。もちろん自分の気持ちを言葉で説明するのは難しいことなので、会話にならず、娘は泣いたまま。私はそれでも、「落ち着いて説明できるようになるまでいつまででも待っていてあげるから、きちんと説明してごらん。」と言います。

世の中、泣いているだけで、物凄く優しくて人の気持ちがわかる人間が、全てを汲み取って素敵に計らってくれることなんて基本的にありません。自分の気持ちは自分で説明しなくちゃいけないし、必要があるなら交渉しなくちゃいけないし、自分の権利は自分で勝ち取らなくてはいけないと思うのです。私にはそれを教える義務があると思っています。

これは娘に厳しいのではなくて優しいのだと思っています。

ですが、嫁はそうは思わないようです。泣いていることや、言葉にできないことなどは聞かないであげて、まずは落ち着くまでだまって抱きしめてあげるような、そういう対応が娘を認め、受け入れてあげることの表現だと感じるようです。(これはあくまでも私の感じた感想)

実際娘は、母親に抱きしめられて落ち着きを取り戻しました。確かに嫁の言うことの方が的を射ているのかもしれない、気持ちが通じるのかもしれない、自分の対応は娘を逆に追い込み、きちんと理由をつけて説明できない自分が認められていない(そのままではいけない)と、思うかもしれないと思いました。自分が全く逆の意図、意思を持って対応しているにもかかわらず。

でも、そのあともずっと考えていたのですが、やはりそれでは世の中を渡っていけないと思うのです。親が子どものことを無条件に愛するように世の中の人は自分のことを愛してはくれないし、仮に愛そうとしてくれる人がいたとしても何をどうしたらいいのかわからないと思うのです。

だまって抱きしめてくれたら心は癒されるかもしれない、それで解決する問題もたしかにあると思う。それこそが根本的な問題であるケースもあると思う。けれども、それだけではどうしたって解決しない問題が世の中には確かに存在するし、そういった問題に対処する力と言うのは人生を生き抜く上で必要不可欠なものだと思う。

だけど、それを伝えるための方法論として私のやり方は適切でない気がする。現にうまく行かないケースが自分の眼前にある(娘のことではなく)。もっと考え、工夫し、挑戦なくてはいけないのだろうと思う。間違いなく。

コメントを残す