はなし
話をするためには、話をしようとするモチベーションが必要なわけです。話をしているときには、もちろん話の内容も重要なわけですが、『お互いに話をする気になっている』ということを高く評価すべきだとおもうのです。 小さいころにはよく「あなたのために叱っている」とか「おおきくなったら誰も注意してくれないぞ」といわれたものですが、今となってはそのことばが非常に重く、実感となって感じられるわけです。 何時からこうなったのか?年齢的なものなのか、世代的なものなのか、環境的なものなのか。わからないけれど、自分にいえるのはただ、自分がもう若くもなくなり、純粋でもなくなったということだけです。 『そうやって自分だけわかっているふりをして、わけしり顔でいるのはいやらしくない?』 そうですね。ごめんなさい。