今朝、通勤電車の中で母からのメールを受け取る。祖母が亡くなったとのこと。明日から和歌山に行きます。

父方の祖父母は記憶にほぼなく、一度だけ祖母の臨終の間際に病院で会った事があるということを覚えている程度。顔は思い出せない。母方の祖父は私が高校生の時に亡くなったのだけど、茨城と和歌山の距離は遠く、何度もあった記憶がない。その中で祖母は何度かあったこともあり、よく電話をくれたのを覚えている。何かあるとよくお小遣いをくれて、電話で「ありがとう」と言うのが習慣だった。何をしゃべったらいいのかわからなくて困るから、電話で話すのは本当はあまり気が進まなかったんだけど、今にして思えば何をしゃべろうと、ちょっと一言二言かわすだけでもうれしかったんだろうなと思う。

一度、娘ができてから祖母にひ孫の顔を見せに行ったことがある。それがもう5年も6年も前の話で、その後会いに行きたい気持ちはありながら結局いけなかった。

人間は歳を取って死んでいくのは決まりきったことだから、いつかこういう日がくるのはわかっていたわけだし、年も年だし、当たり前の話ではあるのだけど、もっとちゃんと子供たちに、ひいおばあちゃんと会わせてあげておくんだったと残念に思う。

明日と明後日はお父さんいないよ、と伝えたら、息子が泣きながら「行かないで」とせがんできた。下の娘がそれを慰めていた。

自分がどうやって死にたいかというのはよく考えておくべきだし、それに備えておかなくてはいけないなと改めて思った。

順番を守れるというのは素晴らしいことだと思う。ちゃんとお前も順番を守れよ、という話を息子にしておいた。

その間、娘はベッドの上で踊っていた…。