2015-01-10
今日は長女の9歳の誕生日でした。もう9歳!早いなぁ。
誕生日なので、娘の好きなものを食べたり、ケーキのろうそくを吹き消したり、プレゼントを買ったり、そういう1日を過ごしました。
でも、誕生日なのに娘が泣く事態に発生したこともあり。嫁さんがTwitterでつぶやいてましたので引用。
https://twitter.com/Tebi3210/status/553921469390913536
https://twitter.com/Tebi3210/status/553923013544919041
https://twitter.com/Tebi3210/status/553926185676070912
https://twitter.com/Tebi3210/status/553927670019289089
https://twitter.com/Tebi3210/status/553930724202405890
今日あったことはとても大事なことで、いつか娘が大きくなってここを見つけた時のためにちょっと色々かいておきたいなと。
きっかけは先日もらったNUBoardに書いてあった「クラウド侍」っていう単語の意味が分からなくて「クラウド侍って何?」という質問からで、娘にわかりやすいだろうとおもって例にだしたのがゲーム機の話だったのですが、「クラウドって何?」という話を丁寧に根気よく説明したら娘が悔しくて泣いた、という話です。泣きそう…ではなくて、途中からもう目を真っ赤にして涙をボロボロ流してかなり感情的になりながら…でした。
嫁さんの分析もなるほどなと思います。でも、私がその時に感じていたのはちょと違うことで。私は「クラウド」を説明したかったんじゃなくて、人から物事を受け取るときの心の姿勢を身につけてほしくて。私はそれを頑張ってたんです。娘の意向に沿わないことはわかったうえで。
娘と会話していて感じてたのは「わからないことに決めたからもう受け入れない」という心の動きでした。途中までは本当にわからなくて質問してたんだけど、途中で「なんで?」「どうして?」と意地悪な質問をしてこちらを困らせてやろうという方向になってた時もあるし、「わからないんだからそれをわかってよ」という状態になってた時もあるし、そもそもが「わからないことをおしえてもらって理解する」ということ自体がそもそも目的でない状態になってたと感じました。
娘は勉強もできたり、知的好奇心も高くて色々なことを学んでいたりして、そういうところはすごくいいのですが、「一度自分の意見はしまっておいて、相手が何を言おうとしているのか、相手がどのように考えているんかを聞く、理解する。自分の意見とは切り離して、相手の意見として理解する。」ということのやり方をまだ知らないです。自分が納得いかないとそれを受け入れようとしない。たとえば何かゲームをしていて自分が負けると悔しくて泣くような。なので、途中で負けそうになるとゲーム自体をほおりだす。話をはぐらかしたり、泣き出したりして相手に責任を擦り付ける。積極的に負けることがまだできない。
もちろん、みんな子供のころはそうだろうと思います。私も小さい頃はそうでした。私はどちらかというと、わかっていなかったことを人に教わると、「わからない」とはねつけるんじゃなくて、「知ってた」と言うひとでした。「知ってたけどわざとまちがえたんだよ」とか、でも、言い方は違っても根は同じに感じます。
娘の望む対応になっていないというのは反応を見ていればすぐにわかって、途中できりあげるという選択肢もあるんだけど、「なにかあったときに逃げずにきちんと話をする」ということは親としてきちんと教えてあげないといけないと思っていて。
ちょっと話はかわるけど、仕事をしていても周りでうまくひととやっていけていない人がたくさんいます。
「正しいこと」をガリガリぶつけて人のいうことを全く聞かない人がいます。「正しいこと」を言ってるんだからそれは正しいのだけど、人は正しいことばかりしていられないし、正しいだけじゃ動かないです。「正しいことをするのがつらくてやりきれない、このままじゃつぶれる」といってる人に「正しいからやれ」とそれだけを言い続けても心が離れるだけです。
「相手の考え」が「自分の考え」と一致しないと納得しない人がいます。根拠は「自分の考えが正しいから」なので、「お前の考えは間違っているから正しく直せ」と相手の考えを理解せず、尊重しようとせずぶつけます。相手は心を閉ざすばかりです。
「自分の考えを持たない人」がいます。人と話をしてぶつかることがいやで、相手のいうことをそのまま自分の意見だと思い込んで文句を言わず言われた通りに。そのうち本当は自分はどうしたいのかわからなくなってしまいます。
私はまず「自分の考え」を持ち、その上で「相手の考え」をきちんと受け止めて、相手の考えを相手の立場で理解して、両方がきちんと存在していることを理解したうえで、どちらも否定することなく、その前提にたってどうしていくかを一緒に考えあえるような人になってほしいと思います。立場がちがうからと初めから拒絶するのではなく、自分が正しいからと聞く耳持たないのではなく、あの人はああいう人だからとレッテルを張るのではなく、誰が言っているかではなく、何を言っているかに注目して。その上で、「この人とは人生を通して本気で議論しなくてはいけない」と思う人とは議論してほしいと思います。
ちなみに私はやはり大学時代の多数の(頭が凝り固まったインテリな)人たちとの考え方の違いを思い知り、サークル活動を通して挫折と苦労と受容を知った気がします。大学時代のサークルの苦労の経験はそうとう大きかったと思うな。
偉そうに書いてる私もまだまだですが。まだまだなことはわかったうえで書いておきます。
何度も、このあたりのことについて書こうとしているんだけど、全くうまく書けない。上にかいてあることは書きたいことの10%くらいしかかけていない気がしますが。時間をかなりかけてしまったので消さずに残しておきます。気を悪くしないで読んでくれるといいんだけど。(こういうのを書くと、「自分のことを書かれた」と思う人が出る。一般論です。(と、書くと、「自分のことを書かれた」と思う人ってのは自分のことだろうと思う人が出る。違います。繰り返しますが一般論です。))