次女とオセロ
毎日子供とテーブルゲームして遊んでるみたいなタイトルになってます。日記をブログシステムで書くのはやっぱりタイトル部分の問題がありますね。全部日付にしちゃえばいいのかもしれないけど。
今は、次女と長男が寝る時間。ベッドの上で子供たちが寝静まるのを待ちながら日記を書いています。この時間に毎日日記を書くことにしました。スマホのフリック入力で打ちにくいけど、仕方がない。
今日は次女とオセロをしました。今日の次女は私と遊びたくて、急遽入ってしまった夜のミーティングに怒りながらも待っていてくれて、遊んでくれました。
今日わかったことは
- 角を3つハンデであげた状態からはじめて、次女と私はほぼ互角か、私の方がちょっと強い
- 次女は常にその一手で1番多くひっくり返せる手を指す
なので、よく考えれば角4つハンデの状態からでも勝負になるかな?と思いましたが流石にそれはボロ負けしました。いや、オセロ難しいですね。
さて。
一昨日の夜から、昨日、今になってもまだ心が落ち着いてません。激しく動揺しています。まだ冷静な思考ができていないです。
少しだけ落ち着いてきて、結局のところ自分の希望があったり、それを伝えたとしても、やっぱり自分がコントロールできるのは自分のことだけだよなと、当たり前のことを思い出して、落ち着こうとしています。
そして、その自分のことだけでもとても大きな決断もできてしまうので、どうしようか思い悩んでいます。大きな決断をすべきなのかもしれないけれども、自分のこれまで生きてきた40年間の人生の優先順位自体を変えてしまうような事は、やはりやりたくてもできないな、いや、でも…と、思い悩んでいます。
40にして迷わずって、わたしには全く持って当てはまらないです。
そうそう、今日、とんでもないものを見つけてしまいました。いくつかの「名言集」のサイトにわたしの言葉が載ってました(笑
- https://meigen.1-blog.net/author/detail/3734
- https://meigen.keiziban-jp.com/kanyou
昔、自分のサイト内にWikiを構築して、そこに自分の好きな名言をいくつか載せて、その並びで冗談で自分の書いた言葉と自分の名前を書いていたのですが、それが名言を収集するbotに拾われたんでしょうね。いろんな意味でインターネットらしいなぁと思います。
愛は留保無く無条件に与えるものである
胡田昌彦
って、ここでまたこうやって書くとそれが強まってしまいますが(笑。でも、この言葉を書いた時の自分の苦しかった気持ちを思い出します。そうです。私はこれを書いた時も苦しかったんです。苦しみながら、でも、本当に愛は留保なく無条件に与えるものであると、思います。何かをしてくれたから愛するのでもなく、何か見返りを求めて愛するのでもなく。
そう思った時に、今自分がどうできるのか、どうすべきなのか。自問自答。
自分は今なぜ今の状態になっているのか、よく考えないといけません。何が自分のとるべき責任なのか。どうすることが責任をきちんととったことになるのか。
明らかに私には非があり、責任があります。